読書メモ📝最後の医者は桜を見上げて君を想う
こんにちは~いけようです!
久しぶりに小説読みました
「最後の医者は桜を見上げて君を想う」
内容
絶対に最後まであきらめない熱血医師と
残された時間を自分らしく過ごすことの価値を説く医師
正反対の二人の医師、そして彼らの同級生である人当たりのいい医師。
3人の医師がそれぞれの価値観・信念で患者と悩み向き合う物語であると同時に
彼らの前を通り過ぎてゆくいくつもの命の物語でもある。
感想
この手の物語を読むと恐くなる。
明日から急に足が動かなくなって原因も治療方法もわからないALS(筋萎縮性側索硬化症)になってしまうかもしれないとか
実はすでに大きな病気になっていて、こうしているあいだにも進行しているのではないかとか。
ネガティブなことを考えるとほんとうにそうなりそうだからあまり悪く受け止めないように努力はしても明日のことなど誰にもわからない。
だからこそ、長年ずっと後回しにしていたあの迷いに決着をつけなくては。
「よし、今日こそは」と保険証を取り出して裏面をじっと見つめる。
だけどやっぱり決められない。
「ほらどうした?死んでしまったあとの肉体を他の未来ある人に役立てられるなら本望じゃん」
と頭でわかっていてもいざそのときのことを想像してみると
どうにもどこにも○を記せない私がいる。
だから今日もまた裏面未記入のまま保険証をしまうのだ。
もうひとつ考えなくてはいけないこと
どんな姿であれ一日でも長く生きることに価値があるのか
それとも自分らしく生きられることに意味があるのか。
これに対しては割とすんなりと自分の意思は後者であると言うことができる。
それでは身近な誰かだったらどうだろう。
その問いにもすぐに答えが出るから厄介だ。前者である。
大切なひととは一日でも長く一緒にいたい。
しかし自分自身は自意識がある状態でしか生きたくない。
これはわがままなことなのだろうか。
だけど自分なら、他人ならと考えてみることで
大切な誰かがわたしの願い通りの決断をしてくれなくても
理解することはできるのではないだろうか、
いつだって置いていかれる人間は辛く悲しい。
しかしそれでもいつかくるそのときまで生きなくてはいけないのだ。
本人だけではなく周りの人間にも何かを残すために
人は死に向かって生きているのかもしれない。
そんなことを考えるきっかけになった本でした。